土浦海軍航空隊の遺跡
 原隊である霞ヶ浦航空隊は、大正14年3月1日の開隊以来、一貫として航空機の実用機訓練を担ってきた。
 軍拡を急がされた、横須賀海軍航空隊は、初歩操縦訓練に満たない予科練習部を移転し初歩・実用機訓練部隊の拡充を図りるため、昭和14年3月1日に 霞ヶ浦海軍航空隊に移転した。
 鹿島海軍航空隊が開隊し遊休化していた、霞空水上機練習場跡に昭和15年11月15日に土浦海軍航空隊が開隊した。
       
土浦海軍航空隊の遺跡   
 土浦海軍航空隊   配置図  第 一 病 舎  号  令  台 皇太子殿下 行幸記念碑 
 第二士官宿舎  常在戦場の碑 二代目雄飛の松   第三滑走台跡
 第一プール飛込台  大岩田の一本松  土浦航空隊神社  
 土浦海軍航空隊配置図  
   
 第 一 病 舎  号  令  台
   
 皇太子殿下行幸記念碑  第二士官宿舎
   
 常在戦場の碑  
   揮毫は山本五十六元帥、昭和10年のもの
石碑はブーゲンビルで戦死した年(昭和18年)に土浦航空隊神社に建立された。昭和30年に山本五十六元帥の銅像の台座の上に移設された。
                  
    像は昭和18年12月8日に除幕式が行われた。
 高さ3.6mの巨大なもので、鉄筋入りのコンクリ−ト製の台座も2.7mもあった。
 終戦後、像の行く末を案じた予科練生たちが像を湖底に隠すことを計画、昭和20年8月に湖底に安置、3年後サルベージ船に上部が偶然発見され、現在、江田島の教育参考館に陳列されている。
 その後、平成14年に下部が台座から3m程離れた場所から埋められているの発見された。
 二代目雄飛の松  
   皇紀2600年を記念し昭和15年に移植したもので、「雄飛の松」と名付け親は当時の航空隊副長であった、成富武光中佐であった。
 昭和20年6月10日の阿見町大空襲の被害で樹勢が衰え平成6年に伐採され、現在の松は二代目です。
 霞ヶ浦海軍航空隊の防空壕を偽装するため植えられていた樹木の一本で、現在の場所に移植されたものです。
 第三滑走台跡  第一プール飛込台
   
 大岩田の一本松  
    飛行予科練生や地元の目印として親しまれた「予科練の松」と呼ばれ親しまれた松です。
 現在の松は、三代目です。
 土浦航空隊神社  
   左の写真は当時のものです。
終戦後、航空隊の神社が損なうことを恐れ隊員が社殿を自宅に安置していましたが、大鳥居が行方不明となていました、しかし平成19年にに地元の人の情報提供により62年ぶりに発見されました。
 現在の社殿(土浦市)

 62年ぶりに発見された大鳥居(つくば市)