阿見町名所
(神社・寺院)
 善照寺  蔵福寺  西光寺 満徳寺 
 長泰寺  高照寺  一乗寺  
 塙の不動堂  竹来の阿弥神社  中郷の阿彌神社  若栗の八坂神社
 吉原の鹿島神社  青宿の鹿島神社    
 善照寺  
   天樹山光明院善照寺は、天台宗寺院である。
 本尊:阿弥陀如来座像
 開創:明徳元年(1390)明快の弟子良諄
 歴代の住持の墓の状況から、乗賢が中興の祖のようである。
 本堂は文政2年(1819)に焼失、慶応2年(1866)庄屋造りの仮本堂ができ、平成2年に本堂を新築した。
 山門は町指定文化財である。
 蔵福寺  
   竹生山蔵福寺は真言宗豊疎である。
 本尊:阿弥陀如来座像
 開山:応永初年(1400頃)初代精満、又は、二代隆慶ともみられる。
 当山は塙の寺跡東観にあったが、後に現在地に移る。
 本堂の再建時に際し、伊達家より松材を拝嶺する、政宗は参勤交代の折、当寺へ立寄っている。
 阿弥陀如来座像は町指定文化財で木造阿弥陀立像附木造両脇侍立像県指定文化財である。
 西光寺  
   吉原西光寺は下吉原字篠崎にある曹洞宗総持寺系寺院である。
 本尊:釈迦如来
 本寺は江戸崎の管天寺、寺格は法地
 開山:管天寺3代の点室祥楳と伝えられている。
 開基は鎌倉権五郎景政で桂村にあった寺院が景政敗残の時の兵火で焼かれ吉原に移転したともいわれている。
 薬師如来座像は県指定文化財・木造菩薩立像は町指定文化財
 満徳寺  
   掛馬山満徳寺は時宗である。
 本尊:阿弥陀如来
 本山は藤沢清浄光寺
 開寺は正和4年(1315)二祖真教の法弟弥阿慰宣と伝える。
 大正12年42世了暁は、地蔵堂を建立する。以来安産子育の日限り地蔵尊として参詣人が続いている。当寺付近は中世城館の関連とみられ、西の丘陵には城の主郭部が顕在している。なお丘陵の裾には宿と呼称される根小屋があり、平成4年ここより渡来銭10万枚余出土した。
 長泰寺  
   島津山長泰寺は曹洞宗寺院
 本尊:聖観世音菩薩
 開山は本寺の長林寺6世天安祖準
 開基は本光宗伝(宮本内膳正)
 始め島津城外郭に寺院があったが、度重なる火災に見舞われ、天保4年(1633)現在の本堂を建立した。
 高照寺  
    日江山放光院高照寺は、天台宗
 本尊:薬師如来
 開基は天喜3年(1055)恵心の弟子行弁伝える。
 平成5年本堂を新築した。
 本寺付近は福田城跡であり、西方に堀・土塁に守られた主郭部が顕在する。城主は、室町前期の上杉氏家臣、戦国期の岡見氏、戦国末の土岐氏(左兵衛)と交替した。帯解祝の夜に落城という伝承もある。
 一乗寺  
   円頓山本願院一乗寺は真宗大谷派の寺院である。
 本尊:阿弥陀如来立像、この右に宗祖親鸞、左に常如、外聖徳太子・浄土7高僧の絵像が安置されている
 開山は文永2年(1265)性信房の弟子常行房が豊岡(水海道市)に
 明治34年現在地に移転したが、翌35年の台風によリ本堂が倒壊し、大正に入って仮建立し再建を期した。
 昭和58年、念願の本堂が新築された。
 塙の不動堂  
   生延山塙不動尊と言われ
 本尊:不動明王座像
 創立は不明だが、池の辺→生延という地名伝承や大蛇伝説から、この不動堂が、眼下の池の辺と呼ばれる水田地帯(かつては大池の難所)鎮護の為に建立されたことが判る。不動は降魔や長寿の功徳を有する。近世後期には、安産・子育て不動として、女性の参拝者が多かった。境内には東観山から移された結界石がある。なお、境内のタブの大木は町指定文化財である
 竹来の阿弥神社  
   竹来は常陸国風土記の普都大神降臨の地とされ、当社は中世では庄内第一の惣廟として二の宮明神とよばれた。近世に阿弥神社と改める。社伝によると祭神は武甕槌命である。

 本殿偉元禄4(1691)の棟札があり、町内最古の建築である。神域を囲む樹叢は町指定文化財である。また境内に吉田麦翠の句碑「湖の風も通うて夏木立」がある。

 なお境内の西方に縄文中期の根田貝塚、南方に付近から出士した中世石塔群がある。

 中郷の阿彌神社  
   崇神天皇十八年、豊城入彦命、東国に荏に曽て此地に到り昔建御雷経津主二大武神平国の功を憶い、其の上天地なるを偲びて慨然としていわく「皇祖の天下を経営せらるるや、阿彌普都実に能く天業を輔弼せり両神功成りて天に還りしは、蓋し是の地なるか」とこれより阿彌郷と名付け、この地に命を祭る。明治六年八月郷社に列す。
 若栗の八坂神社  
   疫神の牛頭天王を祀り元亀年問の創建、本殿は町指定文化財である。
 むかしお菊という娘がどうめきの地で、荒川本郷が流した牛頭天王を拾い上げて祀ったのが神社のおこりと伝える。天王社の創建伝説が流す・拾うという形が多いのは、この疫神力不用となった村から必要とする村に偶然又は神意に仮託して神体の引継ぎをしたことを示す。場所は神体の再生にふさわしい水の聖域どうめきの地であった。なお祭での囃言葉も有名である。
 吉原の鹿島神社  
    弘仁5年(814)・創建と伝え、天正12年(1584)土岐大膳大夫治英修造の棟札があったという。明治6年村社となったが、同12年の「明細書」によると、吉原の外に上長・福田・小池・小坂までが氏子となったという。拝殿に向かっ右方にあるご神木とされる杉の老木の空洞に根をおろした「やどり木」は天然記念物「鹿島神社のやどり木」として町指定文化財になっている。
 青宿の鹿島神社  
    祭神は武甕槌之命、島状台地上にある。社殿の西側に2基の円墳(1号墳と2号墳)、東側にやや大型の円墳(3号墳)があり、1号墳は乱掘.にあい直刀や勾玉が出土している。3号墳は削平されて原形は定かでない。
 神社西側に戦時中防空壕があり、昭和20年6月10日の空襲で入ロに爆弾が投下され、避難中の予科練の教官11名と予科練習生281名が戦死、その他119名重傷の惨事が起こった。いま境内に慰霊の碑が立っている。